じゃすこの読書vol.1 太宰治 人間失格

 

 さて、久しぶりにブログを書きますが、ネタがないので最近読み終えた小説の感想をだらだらとやってこうと思います。(以下、作者の個人的感想なので反論はしてほしくない。してほしくないだけなのでしてもいい。)

 

人間、失格

 そう、太宰である。陰鬱で、人間の普遍的な弱いところや恥ずかしいところを映し出す。まるで人間という生き物を鏡のように映し出す作家。中原中也がいきなり家にやってきて寝てる太宰の枕もとでバーカバーカと言い続けても、怒りもせずに布団の中でシクシク泣いてるやつ。太宰である。

 なんともべたべたな作品をvol.1に持ってきてしまったと思われる諸兄に言いたい。私もそう思う。でもいいじゃん。好きなんだもん。

 

三葉の写真

 この小説はいわゆる私小説(ししょうせつ)で、私小説というのは作者自身の実体験をもとに描かれる小説である。小説をこれから読んでみたいな、という人向けにかみ砕いていえば、半分ドキュメンタリー半分フィクションである。

 さて、「人間失格」、誤解を恐れずに言えば、かのメロスが激怒するような人間の物語と言えばいいだろうか、ざっくりとした大筋としては主人公の大庭葉蔵は田舎の裕福な家庭の末っ子として育ち、成績優秀でいい大学まで行くのだが、どんどんとダメになっていっちゃうというお話で、そんなの読んでて面白い?なんて聞かれた日には閉口してしまうかもしれない。だが、私は声を大にして言いたい。面白い。この小説は、面白いのである。例えば、冒頭のはしがき、このパートには三葉の写真が出てくるのだが、それに映っている主人公を作者である太宰自身がそこそこひどい言葉でけなす。これが面白い。なぜならこれは私小説である。つまり、この主人公は太宰自身なのである。太宰の代表作といわれるこの小説は、のっけから太宰の太宰自身による悪口から始まるのである。何度も読んでいるが、このパートは特に印象に残る書き方になっている。

 

短い

 そう、読んだ人ならわかるでしょう。短いんです、この話。ページ数にして142(角川文庫版)、読書に慣れてる人ならつるっと読めてしまうだろうし、あまり読まない人でも毎日10ページよんで二週間である。なんてこったい。

 

オマケ

 さて、ここまで読んだら読みたくなったでしょう?え?どうなんだい?そんなあなたにおすすめはやはり角川文庫版、なぜって?それはですね、オマケがいいんですよ、太宰の短編「桜桃」と太宰自身の生い立ちの細かい解説がついてます。ちなみにほかの文庫版にはついてるかどうか知りません。角川文庫版しか知らないんで。でもほかの出版だとなかった気がします。要出典ですね。

 

以下、ネタバレ、独断と偏見の感想あり。未読者は自己責任にて。

 こっからは割と真面目にいこうとおもいます。さて、この「人間失格」みなさんはどう読まれましたか。僕がこの作品に出合ったのは中学2年生のころ、当時は司馬作品がすきでよく読んでいたのですが、そろそろそれっぽい小説を読むかなと思い手に取ったのでした。当時はメロスを国語の授業でやったばかりで、太宰についても、暗い人、という伝聞でのイメージしかありませんでした。

 伝聞通り、暗い作品でした。太宰特有のユーモアのオブラートによって、まさに大庭葉蔵おとくいのお茶目のごとく、面白おかしくはなっているのですが、全体として大きな苦悩をにじませているような気がしました。

 たとえば、自画像のくだり。かれは学生時代に自分のことを唯一見抜いた人間に褒められた自画像に最後のほうまで固執し続けています。僕は、この自画像は彼の自我のメタファーではないかと思うのです。葉蔵は、相手の機嫌が損なわれることに恐怖するあまり、周囲に流されながらおべっかを駆使していきぬかんとする人間として描かれています。しかし、そんな、自我を表に出さないようにしている彼が最後まで固執したのが自画像なのです。(ここでいう固執は漫画家を病院に入れられるまでやめなかったというところを根拠にしてます。)彼は自画像を描いたことによってのみ、真に自分のために自己表現ができたのだとおもいます。しかし、そんな自画像を葉蔵はすべて失っています。これこそ、彼がとうとう自我を失ってしまったのだということのメタファーでもあると思うのです。

 また、この小説の太宰の自伝的な部分として、入水自殺の失敗と薬物中毒、そして妻の姦通があります。(ほかにもあるでしょうが、)特に、14歳のころは入水自殺の部分がかなりショッキングに読めたのですが、21歳になった今読むと、姦通の部分や、彼を取り囲む人間の冷たさの陰湿なリアリティーがより強く目立ちました。これは、若いころは正義というものが明確に心の中にあったからだと思います。僕は、この小説は 悪の小説 だと思うのです。人間の悪の部分をユーモアで偽装して世に示した物語だと思うのです。そして、それが14歳のころには人を巻き込んで死ぬことの悪という、わかりやすい、乾いた悪を目ざとく見つけたのに対して、21歳の僕はより陰湿な人間の悪の部分を見つけてしまったのだとおもいます。これは経験の差が生むのでしょう。まだ学生の身でありながらこのようなことを書くのははばかられますが、社会というのは学校の柵のなかに比べ、より野生に近いのではないかと思うのです。弱肉強食という、生き物のヒエラルキーに付きまとうものを、太宰はより身近に経験してしまったのではないかと思うのです。

 この作品は、そんな悲しい、太宰の履歴書なのかもしれません。前述の「桜桃」のなかにも、今度は太宰自身の人間の湿っぽさが現れています。